2015年3月13日金曜日

【日本】2000年9月の東海豪雨災害を雨量面で振り返る

こんにちは。渡邉です。

今日から何回かに分けて、2000年9月に発生した東海豪雨災害を振り返ります。私個人にとってはその後の人生の方向性をある意味決定づけた出来事なのですが、もう15年も前のことです。

初回の今日は東海豪雨災害を雨量面から振り返っておきたいと思います。

東海豪雨災害は、観測開始以降、その地域が経験したことのないほどの大雨でした。「極値」というのは観測史上第1位の値を指しますが、アメダス名古屋での観測で日最大1時間降水量、日降水量、最大24時間降水量ともに極値を更新しています(下表参照)。

東海豪雨時の雨量と極値の更新(出典は名古屋地方
気象台作成資料(こちら)です)










表中にもあるように、特に日降水量や最大24時間降水量はこれまでの値の2倍となっており、いかに異常な事態であったかが分かります。

この大雨を受け、愛知県内では死者7名、重軽症者107名、住宅の全壊・半壊・一部損壊が319棟、床上浸水が22,078棟、床下浸水が39,728棟などの被害が発生しました(出典はこちらです)。

記録的な大雨により愛知県管理河川の新川が決壊したことで、私の実家のある(そして翌2001年から私が町の防災担当として勤務した)旧西枇杷島町では、床下浸水が13世帯40人なのに対し、床上浸水は4,009世帯10,387人の被害を記録しました。旧西枇杷島町の2000年9月1日現在の総世帯は6,592世帯、総人口は17,365人でしたので、世帯数及び人口数でおよそ6割が床上浸水の被害を受けたことになります(出典:西枇杷島町編「平成12年9月東海豪雨災害記録誌」)。

この当時、役場や住民はどう動いたかということや、避難を呼びかけられた際の住民の意識などをシリーズで振り返り、この災害の教訓を改めてまとめていきたいと思います。

(「【日本】計画高水位を超えてもすぐに避難勧告が出なかったのはなぜか?」に続く)