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【オランダ】オランダで使われていた警報伝達の手段

オランダがその歴史を通じて向き合い、そして恐れてきた災害は高潮災害です。

嵐によってもたらされた高潮は、畑や牧草地を侵食し、堤防を壊し、人々の生命や家畜などを含めた財産を奪ってきました。そのオランダでは過去どのような手段で、高潮に対する警戒を住民に呼びかけてきたのでしょうか。

■音で合図
Schoklandという高潮災害に非常に脆弱だった島(今は周りが干拓されて、陸地の中に島の面影を残しています)では、海沿いに大砲が設置されていました。この大砲は外敵を撃つものではありません。住民に高潮に対する警戒情報を伝えるためのものです。

大砲の背後には畑が広がっていますが、干拓される前は海でした
教会の横に大砲が設置されていました。この元島はオランダの水との関わりを示しているため世界遺産に登録されています
大砲1発は牛を避難させるタイミングの合図でした。状況が悪化した際には大砲が2発鳴らされます。これは、家財道具や貴重品をより高い2階部分へと移動させるタイミングを意味しました。

■視覚的に合図
そして、次の写真は、19世紀後半から20世紀前半の漁村の様子を再現したZuiderzee Museumという野外博物館で撮ったものです。これは、今風に言えば、高潮注意報・高潮警報を伝える装置です。
Stormbalの下の部分です

玉が吊るされています

この日はポールの真ん中に玉が位置していました

遠くからみるとこのようなものです(出典:wikipedia

この仕組みは、Stormbal(ストーム(嵐)ボール)と呼ばれています。高く建てられたポールの上・中・ 下どの場所に大きな玉が位置するかで危険を示しました。

玉が地面近くにある場合は平常、ポールの高さの半分のところに玉がある場合は牛を避難させるタイミング、ポールの一番上にある場合はすでに高潮が発生しているので、住民は避難せよという情報でした。沿岸沿いに堤防が設置されている場合は増水の状況が堤内からは見ることができないので、人々はこのボールの位置を頼りに判断をしました。

非常時にはStormbalの玉の位置だけではなく、教会の鐘が鳴らされたそうです。

また、Stadsomroeper(新聞などもなく、また識字率も低い時代に公的な知らせを広場などで伝える役職を持った人)も人々に警報を伝えました。住民から住民へ口づて情報が伝達されてもいたそうです。警報の発表自体は公的機関である水管理委員会が担いました。

こうした、大砲や玉の位置で合図を送るという仕組みは一見すると何でもないようなものにも見えますが、運用として行うことを考えると中々大変なことが想像できます。

例えば、警戒の段階に応じて人々がとるべき行動をあらかじめ定め、普及させておかなければならなかったり、警報をタイムリーに発表・周知するための組織体制や組織間の連携を整えておいたりする必要があったと思います。

「有効な警報をどう発表するか」、「災害情報はいかに伝えられ、また、使われるべきか」といった現代にも通じるテーマを大砲やStormbalに垣間見ることができました。

なお、余談ですが、Stormbalによる警報の見せ方自体はシンプルで分かりやすく、また、遠くからもある程度目立つので、途上国のコミュニティーなどで今でも応用可能な印象も受けました。歴史を振り返ってみると中々面白い学びがあります。